塩屋に関するあれこれ
明も歴代王朝と同じく塩の専売制を行った。
元王朝では公鈔と言う紙幣の流通があり、塩や茶などを専売にして利益をあげていた。
元王朝中期になると国家収入の大半を塩の専売による利益が占めていた。
塩は通貨価値の基準となり、紙幣と塩の兌換(だかん)(あらかじめ決められた比率による交換)
を保証することで通貨の価値を保っており、塩本位制に近い状態だった。
明王朝は初期にはその仕組みをほぼそのまま使っていた。
明の場合は軍政と関連していた。
まずは駐屯地の食料庫に食料を納入した商人は手形を受取り、
その手形を塩と引き換えることのできる塩引と交換して、
塩と引き換えてそれを販売すると言うものである。
これは開中法と呼ばれ、明代を通じた行われている。
銀が通貨となったのちは、食料庫の納入が銀の納入後となっている。
地域ごとに商幇(しょうほう)と呼ばれる商人集団があり、
その中でも明代には山西商人と徽州商人の二つが競っていた。
明代後期からは塩と公益をおさえた徽州商人が発展した。
参考
Wikipedia
お金に関する雑記①「元王朝の錬金術」