太湖石

白居易が都へ持ち帰ったことで有名になったらしい。

蘇州付近にある太湖周辺の丘陵から切り出される穴の多い複雑な形の奇石。

かつて内海だった太湖の水による長年の侵食によって石灰岩に穴が開き、複雑な形と化した。

太湖石は蘇州はじめ中国各地の庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれている。

北宋の徽宗皇帝は人民を徴用して、太湖石などを都に運ばせた。

これを花石綱と呼ぶ。

徽宗は造園に必要な珍花、名木、奇石(太湖石)などを強制的に買い上げ、あるいは強奪し、

運河や陸路を利用して首都開封へ運ばせたが、

その際強引な手法を取り、庶民の負担を強いたため、

民衆に怒りを買い、結果、方臘の乱が発生し、江南が疲弊する原因となった。

徽宗が花石網を課したことや方臘の乱は水滸伝でも取り上げられている。

  

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